――保延三年(一一三七年)、平安京。
桓武帝の即位より三百と六十年。それまで新たな帝の即位と共に遷都を繰り返していたこの国のみやこを、千年先まで続くようにと願いを込めて定められて以来。この地は〝平安〟の名と共に繁栄を続けてきた。
その一角、左京は二条十五町、みやこの外縁部とされる京極大路の河原東に、近衛河原屋敷と呼ばれる館がある。
みやこに住む者達があえて、その繁栄を外れた郊外に居を構える理由は二通りある。貧しいか、それに相応しいだけの官位を持たぬかだ。しかしこの屋敷の主の名を聞けば、なぜこのような場所にと疑問を抱く者も少なくはないであろう。
なるほど、屋敷はさほど大きなものとは思えぬ。しかし厩に繋がれた馬はみな逞しくも毛並みも美しい坂東駒。屋根は総て瓦葺きで、庭は隅まで手入れがなされている。館の構えも華美にならず、確かな調度が整えられて、主の実直さと上品さをよく表していた。
法成寺の斜向かいに佇むこの屋敷の主こそ、摂津国渡辺党を率いる摂津源氏の棟梁、源頼政である。頼政は当年とって三十二。この年蔵人に任官し、六月には従五位下に叙されたばかり。引退した父・仲政に変わって摂津源氏の一門を背負うこととなった矢先であった。
「まったく、あの男にはほとほと愛想が尽き申した!」
そんな頼政に向かい、近衛河原屋敷の一室、客を迎える広間で怒りをあらわにするのは、まだ十五にも届かぬどうかの冠者(若者)である。
名を義朝。源義朝。後の世に頼朝、義経兄弟の父として知られることになる、この国を代表する武門、河内源氏の御曹司であった。
激しい憤りと共に、義朝が口にするのは、彼の父――河内源氏の現棟梁である六条判官源為義の行いであった。
「――あれは、惨めな男なのです」
まるで知らぬ相手を評するように、義朝は吐き捨てる。
「働きにて得た地位を、己の蛮行で水泡に帰す。それを顧みることもなく、同じことをもう三度も繰り返しております。繰り返される乱行に、もはや河内源氏の名は地に堕ちました。内裏の公卿たちは皆、棟梁の有様に呆れかえっております。源氏の長は、粗野で頑迷な愚か者であると。あの男は、そのたびに落ち込み、省みているような素振りを見せますが……であれば、同じ過ちを繰り返すことなどあるものか!」
力に任せて床を叩く義朝。頼政には歳若い彼の苦悩が手に取るように分かった。頼政とて、元服してしばらくの頃は、摂津源氏を背負って立つにはあまりにも頼りなく、不甲斐ない父を疎ましく思ったものだ。
まして、実際に父の失態、欠点がこうもありありと目につくとなれば、その怒りはもっともと言えよう。
「まあ、為義殿はあれがご気性であるからなあ」
しかし、頼政の立場としては言葉を濁さざるを得ない。当の息子である義朝が目の前に居るのだ。たとえ彼が容認していたとはいえ、摂津源氏が河内源氏の嫡流の名誉を貶め、表立って非難する訳にはいかないのである。
勇猛さを示すことと、粗野であることは一見似通っていて、その実大きな隔たりがある。ことに、このみやこにおいてはそれを強く求められた。
恐らくは為義自身も、そのことを理解できていない訳ではない。
しかし元々酒癖が悪く身内に甘い為義は、これまでにも幾度となく問題を起こしていた。ことに罪を犯し、乱行を働いた郎党を匿い、悪僧を庇い立てて反発を招いたことは枚挙に暇がない。頼られると否と言えぬ気性ゆえか、同族意識からか、実際に悪事をした者であっても突き離すことができぬのである。
また為義自身も度々、他の武家と衝突を起こしていた。もはや彼の素行不良は誰も庇いだてできるものではなく、後ろ盾であった鳥羽院からは勘当され、同じ源氏の中からも孤立を深めていたのである。
荒くれどもに混じって戦に明け暮れ、馬を駆っては酒をくらい、仏道も分からぬでは、貴族たちには扱いにくくて仕方のない事だろう。罪を犯そうとも郎党や友を守ろうとするのは、ある意味では得難い美徳であろうが――それで寺社や貴族と争ってばかりでは、院の心証が良くなろうはずもない。
「これが、河内源氏の長のなすことでしょうか。私には分かりません。それが源氏に必要であるのだというなら、そんなものは途絶えてしまえばいい。そう思いませぬか、頼政様!」
「うむ……」
いくら慎んでも改まることのない父の姿を見ながら、義朝は己に流れる河内源氏の血すら嫌悪しているようだった。
「このような有様では、源氏の再興など夢も夢。私はそれが悔しいのです!」
荒くれ者達の集団である郎党達を厳しく律し、訓練された軍事力として鍛え上げる。それが義朝の理想であった。制御できぬ武力は、今の京にあって百害あって一利なしと、義朝はそう考えているのだった。
その一環としてか、義朝は頼政を慕って良くこの近衛河原を訪れていた。若くして歌の才能を評価され、また宮中の政務にも関わる頼政について、みやこ仕えのいろはを学んでいるのだ。ただの貴族の私兵としてではなく、朝廷に身を置くことを望み、政務にも積極的に関わろうとするのは、戦一辺倒で他の事に頓着の無い父や兄弟への反発もあるのだろうと、頼政は見ている。
情熱に燃える若者の、それゆえに危うき理想を前に、頼政は小さく吐息する。
「義朝殿。……己が清盛殿のように成れぬのが、不満か」
「それは……」
急にその名を出され、義朝はむっつりと押し黙ってしまう。はっきりと口に出さぬとは言え、義朝が彼を意識しているのは明白である。
頼政の摂津源氏と義朝の河内源氏、勢力基盤としては分かれているものの、両者の系譜は共に経基王を祖とあおぐ軍事貴族である。清和帝より降下し、「源」姓を賜ったことで源経基を称した経基王より分かたれ、河内に本拠を築き、頼信、頼義、義家の三代にわたって武名を顕した河内源氏に対し、かの酒呑童子退治の源頼光より、摂津渡辺港に居を置いてみやこの鎮護に当たった辟邪の武の一門が、頼政の摂津源氏であった。
それに対して、桓武帝より分かたれた高望王に始まる一門が平氏である。わけても伊勢平氏の正統六波羅流を継ぐ忠盛・清盛親子は、今のみやこにおいて昇陽の勢いのただ中にあった。
先年、熊野本営を造営した功により忠盛は源頼光以来の内昇殿を赦されている。また、彼ら親子が西国に明るいことから瀬戸内の海賊討伐にも追補されたことも記憶に新しい。大陸との交易の要所である瀬戸内海を支配下とし、平家は海上貿易の莫大な利益を己のものとしているのである。
そもそもこの海賊討伐も、もとは為義をその役目に充てることが予定されていたが、彼の素行不良を理由に貴族たちが次々と反対の声を上げ、忠盛父子が変わって任じられたという経緯もあった。
多くの勲功を上げる平氏が、武門の源氏にとって変わろうとしているいま、その次代の存在感は義朝にとって無視できぬものであろう。
「清盛殿も、つい五年も前までは伊勢の平太などと呼ばれ、瀬戸内の海で悪友どもと海賊ごっこをしていたものだが。……時間の流れとは早いものだ」
伊勢平氏嫡流、平清盛。
義朝の五歳上、さらには同じ嫡流同士とあって、清盛は常に義朝と比較された。しかし鳥羽院の信頼を得、軍閥貴族として深くみやこに食い込んだ平氏一門と、度重なる内紛で凋落した源氏ではいまや家格に大きな隔たりがあった。いまだ無官の義朝に対して、清盛はわずか十二歳で今の頼政と同じ従五位下を与えられ、左兵衛佐に叙任しているのだ。院御所の警護役である北面武士としては破格の従四位下。父に変わって中務大輔、肥後守を兼任している清盛に、義朝は逆立ちしたところで太刀打ちできぬのは明らかであった。
だが、それを口にしたところでこの若者が憤りを収められるとは思えない。頼政は思案の後、重々しく口を開く。
「義朝殿。そなたが為義殿を心苦しく思う胸中は、わからぬではないが――もう少し、父君の事を慮ってやるわけにはいかぬか」
「頼政殿までそのような事を仰るのか! あのような男を、理解せよと!? 酒に酔って女御に乱暴を働き、罪なき人々を犯し殺すような郎党に絆されて匿い、同朋だと言ってのけるような男を!」
吐き捨てるように言い、義朝は拳を床へと叩きつける。その目には若い情動の滾りが赤々と燃えている。己が、己こそが世の寵児たらんと理想に燃える心だ。
「頼政殿、われらは源氏なのです。ならず者の野盗、悪賊どもとは違う。その武勇をもって名を示し、このみやこを守ることが務めでしょう。その長が、あのような振る舞いなど、断じてあってはならないのです!」
彼の激しい憤りは、自身が厭っている父譲りのものであろう。その憎しみの根は深いのだと頼政にも察することができた。恐らく義朝は、厭う父や兄弟達に囲まれ、そんな憤懣や鬱屈をどこにも吐き出すことができず、深く胸にとどめて日々を送っているのだ。
少年の胸の内にのぞく深い蟠りに、頼政はたまらず首を振る。
「義朝どの」
「――失礼、取り乱しました」
彼もすぐに言葉が過ぎたことに気付いたようだった。まだ息も落ち着いてはいないが、義朝は無理矢理声を落ちつけようとする。彼は炎のような激情を内に秘めているが、同時にそれを制する事が大切だとも知っているのだ。根底にあるのは父への反発だが、それを悪罵や憤懣にせず、悪き手本として己を律する教譜としていた。
「今のみやこにあって、我らが生きる術はひとつ。弓馬の道を修め、規律と礼節をもって帝の御為に働く――それに尽きます。その為には我等とて、粗野なままではならぬのです。……走狗として使われ、殺し合いしか能のない、体の好い使い走りでは源氏に未来はない。武を修め、それを行使するために必要な心構えを持たねばならないと、そう思います」
「帝の御為、か」
頼政は思う。だが、そのような武力が必要とされるのはどんな時であるのかと。
やがては河内源氏を率いるであろうこの少年が歪まぬよう、やはり言っておかねばならぬ。頼政は深い吐息と共に義朝へと向き直る。
「義朝どの。そなたの言葉を否定するわけではないが、果たしてそれはまことに、源氏の目指すべき道だろうか? ……俺にはいささか、違って思える」
「……なんと、これは頼政殿のお言葉とは思えませぬ」
再び激昂をあらわにしかけた少年を制し、頼政は続ける。
「まあ聞け。知っての通り、摂津源氏は辟邪の武だ。帝やみやこを脅かす危難を排すためにある。しかし、俺は今まで一度も暴れる鬼や、山を砕く大百足を射たことはない。頼光公や秀郷公のような活躍をしたこともない。……武士の役目がばけもの退治であるなど、本気で考える者など、どれほど居るのだろうな」
「当たり前です! そんなのはただの御伽噺だ! 頼政殿は私を童のように申されるのか!」
「そうだ。そなたの幼き弟たちとて、そのようなことは信じまい。では、我等源氏が帝の御為、その力をもって討ち滅ぼさねばならぬという夷敵は、いま一体どこにいる。人心を、国を脅かす邪悪なばけものなど、もうどこにも居らぬのだ」
義朝の曽祖父、八幡太郎源義家がその名を馳せた、奥州での前九年、後三年の役。幾度もの北征で蝦夷地が平定され、奥州はみやこに従った。大宰府の守りも健在である。源氏がその武をもって征伐すべき相手など、もはやこの日ノ本には残っていないのだ。そも、奥州平定すらも元をたどれば結局はかつての平氏・源氏一門の内乱である。
いかに統制され、制御されていようとも。武力が必要とされる時は、その相手が同じく武力をもつ時以外にあり得ない。その敵がいなくなってしまった今、帝の御為といいながら、源平の武者が争うのは身内の乱心、同士討ちの為だ。それはお互いに子を、親を、兄弟を殺し合うことで家を永らえるに他ならない。
(そのようなもの、一体我等のうちの誰が望んでいるというのだ)
人の情、愛憎は当然のものであろう。仲間の無念のため復讐を果たさんと願う心もまた、自然のものである。しかしそれらを殊更に波立て、要らぬ火種とする者たちがいる。頼政は一門を率いるようになってからことに強く、その存在を感じていた。
このみやこには、帝の御為にと働かんとする心すらも、自らの益の為に利用する者たちがいる。道長公の頃より衰えたなどと揶揄されもするが、いまだ藤原摂関家の勢力は絶大であり、院とその愛妾たちの勢力は日々拡張を続けている。比叡山の大衆たちは仏法をもって政争に名乗りを上げ、いまやそこに平氏一門も加わろうとしていた。
それに目をつぶり、この複雑怪奇なみやこの今を蚊帳の外としていては、生き残ることはかなわない。頼政は日々その思いを強くしていたのだった。
「この国に、もはや我等の倒すべき敵はいない。聡明なそなただ。そんな今の世で我らが武を振るうということが、どんな結果をもたらすかは自ずと分かろう。……簡単なことだ。争うのは人同士、勝った方があれば負けた方がいる。敵を討ち果たし、己が勝利を掴もうと、その子や兄弟は苦汁を舐め、いつか屈辱を晴らそうとする。子が仇を討てば、そのまた子が同じことを繰り返す。そんなことは今も昔も、本邦も大陸でも変わらぬよ。今の世は、源平の争いとはまさにそれだ。子孫が絶えるまで永劫に相争う事で、互いを擦り減らし、一時の栄光を掴むだけの無益な争いなのだ」
「…………」
義朝は、唇を噛み、じっと頼政の言葉を聞いていた。分からぬはずがない。それだけ聡明な少年なのだ。
「帝の御為に尽くすことは俺達源氏の務めだ。それは今も昔も変わらぬだろう。……ただな、帝の御為にという言葉に疑うこともなく従うというだけではなく、己が闘うその相手を自ら見定め、決める。このみやこの在り方に踏み込むのなら、そなたはそれを心に留めおかねばならぬ。少なくとも、清盛どのはそれをしているのだ」
いつしか、義朝は真剣な顔で頼政の言葉に聞き入っていた。こうして端々に見える大器の片鱗を感じるたびに、頼政は彼が短慮に走ることなく、多くの者たちを受け入れる度量を持てるように育つことを願ってやまぬのである。
「俺はつまらん男だ。弓引きの他には歌くらいしか取り柄がない。が、幸いなことにそれを評価してくれる方々がいる。だから俺はそれを、己の生き方とした。……俺のやりかたを、貴族に媚びた腑抜けと称する者がいるのは知っているさ。だがな、義朝どの。これまでの武士とは他のやり方を探らねば、我等はただ使い潰され、滅びていくだけなのだ。
俺たちは見つけねばならぬのかもしれん。貴族や院の威光に頼ることなく、自らの手で所領を護り生きてゆく、武家の国を。……分かるか?」
「……わからぬでは、ありませぬ」
「そうか。まあ、俺もこんな大それたことを一代で成し遂げられるとは思っていないさ。我らが考えるべきは源氏を継いでゆく子孫のことだろう。そして、それはな義朝殿、そなたの父、為義殿も同じことだぞ」
「な……!? いま何と申された! 頼政どのはそこまで耄碌されたか!」
激昂し、立ち上がる義朝を制し、頼政は静かに首を振る。
「そう憤らずに聞け。義朝殿。そなたは為義殿が、何故あそこまで官位に固執されるか、考えてみた事はあるか? 慣れぬ作法をたどたどしく習い覚え、己の失態で官位を剥奪されても、再び勲功を立てそこに返り咲こうとしているのはなぜか。聡いそなたに分からぬはずがない」
言い含めるように頼政は語る。反発というのは、似ているから起こるものだ。血の繋がった親子同士で、それが分からぬはずがないのだ。
「…………」
「すべて、河内源氏の継嗣たるそなたに不自由させまいとの心からだ。やがては一門を率いるそなたに少しでも良い形で嫡流を譲り、より良い形で源氏を率いていけるようにとな。……さすがに不器用ゆえにそれを自身で台無しにしているところまでは庇いきれぬ。だが、そなたのように己の激情を制し、相手の心中を慮ることができるものだからこそ、いたずらに嫌うばかりではなく、それを解ろうと努めてやるべきだ。その上でそなたは、そなたのすべきことを成すのが良いと、俺は思う」
静かに語り終える頼政。俯き、じっと膝の上に小さな拳を握りしめて、義朝は無言であった。
「すまぬな。少し、余計なことまで喋りすぎた」
あまりにも過度な想いをこの冠者の小さな肩に背負わせてしまったかもしれぬ――そう思い、頼政は自嘲する。
(愚かしい事だ。俺は、俺にも出来ぬ事を、この少年にさせようとしている)
もはや言うまい。努めて口調を明るくし、頼政は話題を変えることにした。
「……そう言えば、義朝殿。また弟が生まれるそうではないか」
「ああ。はい。まだ母の胎の中だというのに、大層暴れて眠る間もないと聞きます」
義朝には、義賢、義広をはじめ多くの兄弟がいる。今度生まれる赤子は八番目の兄弟になるそうだ。
「これは、まだ生まれぬうちからそれとは、なかなかの大物だな。そなたも兄として、さらに励まねばならぬな」
「はい」
「俺の息子も、最近随分と生意気盛りになりおってな。一端の口をきいてばかりで、ずいぶんと手を焼かせる。そなたのことを見習わせたいものだ」
「仲綱殿は、頼政殿に似てお優しくあられますから」
「言いおるな」
顔を見合わせ、二人は笑う。少年の顔に浮かんでいた陰が薄れたことに、頼政はひとまず安堵した。
ややあって、義朝は静かに居住まいを正し、静かに頭を下げた。
「頼政殿。……ありがとうございます」
「気にするな。俺ができることと言えば、愚痴と説教くらいだからな」
「いえ。……これは、今日のうちは胸に秘めておこうと思っていたことなのですが――」
改めて向き直り、まっすぐこちらを見据える義朝の真摯な瞳に、頼政はつい、目の前に居るのがまだ十五に満たぬ少年である事を忘れそうになる。こうした瞬間、頼政はこの少年に次代の河内源氏の棟梁の器を見るのである。
「近々、私には東国へ下るようにとの命がくだります。……恐らくは、頼政殿とは長いお別れとなりましょう」
「なんと、それはまことか?!」
突然のことに、頼政は動揺して腰を浮かせていた。あまりにも急な話であった。いずれは嫡男を継ぐであろう息子を、まだ若いうちに単身地の果ての坂東へと向かわせるとは――あらためて、為義と義朝の間にある溝を実感し、頼政は唸るばかりだ。
頼政も幼い頃、下総守に任じられた父に連れられて坂東に下った経験がある。しかし通例ではそのような任官があっても、領地を与えられたものが自らその地に赴いて治世を行うことは一般的ではなかった。特に畿内の軍事貴族においてはこの傾向が顕著である。この時の頼政の下向も一時的なものであったし、のちに伊豆や若狭を所領として与えられて以降も、頼政自身が長く京を離れたという記録はない。
「はい。父よりそれとなく聞かされていたことです。それまでにもう一度お会いできるかは分からぬゆえ、今日は無理を押して会いに参りました」
「……それは……事前に言ってくれれば、もてなしもできたものを」
「いえ。良いのです。そうすれば頼政様は、別れを前にした慈悲で私の醜い言葉にも黙って頷き、憤懣を受け止めてくださったでしょう。私もまたその心地よさに、父の想いを諭されたお話に耳も貸さず、大事なことを学べぬままでしたでしょうから」
穏やかな表情で首を振る義朝。もはやその目に迷いはない。
坂東は千葉、上総、大庭、三浦、その他多くの有力豪族がひしめき合う割拠の地である。所領を巡る争いは絶えず、面子をぶつけ合っての小競り合いは日常茶飯事、郎党を率いての合戦も珍しくないと聞く。
そこに旅立つことは、命の保証が為されるものではなかった。仮に再会が叶うとしても五年、十年先となるのは間違いない。聡明であるとはいえまだ少年だ。不安に押し潰されそうになることもあるだろう。それを堪えて、義朝は頼政の話に耳を傾けていたのである。
頼政は、勝手にこの少年の器を測っていた事を恥じた。その資質も見誤り、源氏の末を見ての言葉も、まだ幼いゆえの肉親への反発、我儘であろうと決めつけていたのだ。
「……すまぬな。俺の迂闊さでそなたの誇りを損なってしまった。許されよ、義朝殿。この通りだ」
「そんな、頭を上げてください! 頼政様!」
あるいは――為義はそんな地へと息子を送り込むほどに、彼を疎んじているのか。そんな事まで思い浮かぶ。
しかし、義朝の顔は晴れやかであった。
「頼政様。本当にありがとうございました。くよくよと思い悩んでおりましたが、これで覚悟が決まりました。坂東は広い。かの地には弓馬を良くする者たちが多く、広大な草原を駆ける馬は逞しく鍛えられています。また、鹿島には武神の加護にて優れた武具を作る者達が住まうとも聞きます。彼等を新たな友とし、その信頼に足る男となれるよう、この義朝、今日のお話を糧に努めたいと思います」
「……そうか。強いな、そなたは。……仲綱にも見習わせたいものだ」
少年の顔にもはや迷いはない。頼政はただ静かに頷いた。
「なに、今生の別れというわけでもありますまい。そのうち、息子でも連れてひょっこりと顔を出しましょう」
そう言って笑う義朝に、頼政もまたしかと微笑み、精一杯のもてなしをして送り出したのであった。